父が死ぬことを初めて理解した日|家族が親の終末期を受け入れるまで

終活
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父が死に向かっていることを、私が初めて現実として理解した日のことを書きます。

父は肺がんステージ4で、入院しながら治療を続けていました。

それでも当時の私は、父が死ぬことを現実のこととして考えていませんでした。

治療を続けていれば、まだ何とかなる。

父自身も、最後まで治療を続けたいという気持ちを持っていました。

だから私は、父の病気が重いことは分かっていても、「父が亡くなる」というところまで考えることができていなかったのだと思います。

そんな私の認識が変わったのは、入院中の父と、担当の看護師との会話がきっかけでした。

今でも、そのときのことを覚えています。


父が肺がんになっても、私は「死」を現実として考えていなかった

病室の窓際に置かれた、誰も座っていない丸椅子

父が肺がんステージ4になってから、病院へ行くことは私たち家族にとって日常になっていました。

検査を受け、診察を受け、治療について説明を聞く。

そんなことを繰り返していました。

病気が進んでいることも分かっていました。

それでも私は、「父が死ぬ」ということを具体的には考えていませんでした。

父が治療を続けている以上、まだ治療によって何とかなるのではないか。

そんな気持ちがあったのだと思います。

父自身も、治療を続けたいという思いを持っていました。

だから家族の中でも、「父が亡くなるときが近づいている」という話をすることはありませんでした。

今振り返ると、父の死について考えること自体を、私も家族も避けていたのだと思います。


父から見せられた治療方針の用紙

あるとき、入院中の父から治療方針や治療内容が書かれた用紙を見せられました。

その用紙には、私が今でも覚えている項目がありました。

「ボケの症状」という項目です。

そこにチェックがついていました。

父はその部分を指差して、私に教えてきました。

何か言いたげでした。

ショックだったのかもしれません。

でも、父はそのとき、何かを語ることはありませんでした。

私は、そのときに父が何を考えていたのかを聞くことができませんでした。

今になって考えると、あのとき父は、自分の身に起きている変化について何か感じていたのかもしれません。

ただ、これは今の私が当時の父の気持ちを想像している部分でもあります。

当時の私は、父が何を感じていたのかを十分に聞こうとしていませんでした。


今回の入院から、父はおむつをしていた

さらに、この入院から父はおむつをしているようでした。

私は、

「なぜおむつが必要なんだろう」

と思いました。

でも、父に聞くことはできませんでした。

今思えば、聞けばよかったと思います。

「どうしておむつをしているの?」

と聞けば、それで済んだのかもしれません。

でも、当時の私は聞けませんでした。

父も何も言いませんでした。

病気になってから、父の身体には少しずつ変化が起きていました。

それなのに私は、その一つひとつが何を意味するのかを理解できていませんでした。

そして、それを理解しようと父に聞くこともできていませんでした。


帰り際、担当の看護師に話を聞いた

その日の面会が終わり、帰るときに父の担当の看護師に会いました。

私は、前回の面会で父が話していたことが気になっていたので、直接聞いてみることにしました。

父は以前、

「看護師の対応が急に変わった」

というようなことを言っていました。

本当に看護師の対応が変わったのかについて、私は確認したかったのです。

結局、そのことについては私が納得できるような答えを聞き出せたわけではありません。

それでも、その看護師とはいろいろな話をしました。

そして、その中で看護師から、こんなことを聞かれました。

「どうして〇〇さんのお父さんは、治療を続けたいと思っているのでしょうか?」

私は心の中で、

「え?」

「ん?」

と思いました。

でも、顔には出さず、

「肺がんの治療を続けて、病気を克服したいと考えているんだと思います」

と答えました。

すると、その看護師は驚いたように言いました。

「まだ治療をすれば治ると考えているのですか?」


「まだ治療をすれば治ると考えているのですか?」

私は、この看護師の発言を失言だとは思っていません。

その看護師を恨んでもいません。

ただ、私の中にあった認識に、容赦なく現実を突きつけた言葉だったことは間違いありません。

それまで私は、父が肺がんステージ4であっても、治療を続けていれば何とかなると思っていました。

父も治療を続けたいと思っていました。

だから私は、父が亡くなることを現実のこととして考えていなかったのです。

でも、その言葉を聞いた瞬間に、何かが変わりました。

「父は死ぬんだ」

私は、このときになって初めて、父が肺がんで死ぬということを現実として考えました。


私はこのとき初めて、父の死を現実として考えた

それまでも、父が重い病気であることは分かっていました。

肺がんステージ4ということも知っていました。

治療を続けていることも知っていました。

それでも、「死」という言葉を自分の父親に結びつけて考えることができていませんでした。

私は、父が数年先ではなく、数か月のうちに亡くなるのではないかと、初めて現実的に感じました。

これは、医師から父の余命を告げられたという話ではありません。

その看護師から余命を伝えられたわけでもありません。

あくまで、あの会話をきっかけに、私自身が父の死を現実のこととして受け止め始めたということです。

そこは、今振り返っても区別しておきたいと思っています。


涙が止まらなかった

窓ガラスに伝う雨粒と、ぼやけた曇り空

現実を知った私は、涙が止まらなくなりました。

それと同時に、無知だった自分に対する怒りもあふれてきました。

いい歳をしたおじさんが、20代の若い看護師の前で泣いている。

「本当に恥ずかしい奴だな、俺は」

そう思ったことを、今でも覚えています。

でも、今になって考えると、あの涙は父の死を初めて現実として理解した涙だったのだと思います。

それまで私は、父の病気を「治療するもの」として見ていました。

もちろん、それは間違いではありません。

父は治療を受けていました。

でも、それだけではありませんでした。

病気になった父が、これからどう過ごすのか。

父自身は何を思っているのか。

家族として何を知っておく必要があるのか。

そういうことを、私はほとんど考えていませんでした。


父の死を理解しても、すぐに受け入れられたわけではなかった

父が死ぬことを現実として考えたからといって、すぐに気持ちを整理できたわけではありません。

頭では分かっても、気持ちは追いつきませんでした。

それまでずっと、

「治療を続ければ何とかなる」

と思っていたからです。

父自身も治療を続けたいと思っていました。

だからこそ、父の前で「死」の話をすることはできませんでした。

父に、

「自分が死ぬと思っている?」

と聞くこともできませんでした。

「これからどうしたい?」

と聞くこともできませんでした。

今思えば、父が何を考えていたのかを聞く時間は、もっとあったのかもしれません。

でも、私は聞けませんでした。


父と「死」について話すことができなかった

今でも後悔していることがあります。

父と、もっと早く話しておけばよかったと思うことです。

どんな治療を受けたいのか。

どんなことを大切にしているのか。

もし治療が難しくなったら、どうしたいのか。

どこで過ごしたいのか。

そうしたことを、私は父と十分に話しませんでした。

当時の私は、そういう話をすること自体が、父の「死」を認めるようで怖かったのだと思います。

だから、話さないまま時間が過ぎていきました。

そして気がついたときには、父の病状が変化し、家族も介護やこれからの生活について急いで考えなければならない状況になっていました。

入院中の父について、私たち家族が要介護認定の申請を急ぐよう言われたときのことも、今でも覚えています。

そのとき私は、介護についてもほとんど何も分かっていませんでした。

その経験については、こちらにまとめています。

要介護認定を急いだ理由|入院中の父の介護申請で経験したこと
入院中の父の状態が日に日に悪化し、看護師から要介護認定の申請を急ぐよう言われた私の実体験です。介護申請を後回しにした理由や、病院の看護師との関わりで感じた不安、今になって思うことを紹介します。

今になって分かる「人生会議」という考え方

父を見送った後になって、私は「人生会議(ACP)」という考え方を知りました。

厚生労働省では、人生会議を、もしものときに望む医療やケアについて前もって考え、家族や大切な人、医療・ケアチームと話し合い、共有する取り組みと説明しています。

また、気持ちは変わることがあるため、一度決めて終わりではなく、何度でも話し合うことが大切とされています。

私が父の病気を経験したときには、こうした考え方を知りませんでした。

だから、

「治療を続けるのか」

「これからどう過ごしたいのか」

「本人は何を大切にしているのか」

という話を、家族で十分にすることができませんでした。

ただ、ここで一つ伝えておきたいことがあります。

私は、

「人生会議をしていれば、父の最期が変わった」

と言いたいわけではありません。

そんなことは、今となっては分かりません。

ただ、

もっと早く父の気持ちを聞いておけばよかった。

その思いは、今でも残っています。

人生会議で大切なのは、何か一つの正解を決めることではありません。

厚生労働省も、本人が大切にしたいことや望む医療・ケアについて周囲と話し合い、気持ちが変わればまた話し合うというプロセスを示しています。

父との経験を振り返ると、私はその「話し合う時間」を持つことができなかったことを悔やんでいます。


あのときの自分が欲しかったのは、正解ではなかった

今になって、あのときの自分が欲しかったものを考えることがあります。

それは、父がいつ亡くなるのかという答えではありませんでした。

「こうすれば正解」という答えでもありませんでした。

もっと早く、

「病気になったとき、家族は何を考えればいいのか」

「本人の気持ちはどうやって聞けばいいのか」

「治療だけではなく、その後の生活について何を話しておけばいいのか」

ということを知っておきたかったのだと思います。

私は父が死ぬことを考えていませんでした。

父と死について話すこともできませんでした。

そして、いざ父の死が現実になったときには、考える時間そのものが少なくなっていました。

だからこそ、今になって思います。

親が元気なうちに、難しい話を一度に全部しなくてもいい。

「もし病気になったらどうしたい?」

「どんなことを大切にしたい?」

そんな小さな話からでもよかったのだと思います。


無知だった自分を責め続けるより、同じ家族に情報を届けたい

机の上のノートとペン。これから書き記そうとしているイメージ

当時の私は、父の死を受け入れられなかっただけではありません。

受け入れるために必要な知識も持っていませんでした。

病気になった父を前にして、私は何を聞けばいいのかも分かりませんでした。

父が何を考えているのかを聞くこともできませんでした。

そして、父の死が現実になって初めて、

「もっと早く知っておけばよかった」

と思いました。

もちろん、あのとき知識があったからといって、父の病気が変わったわけではありません。

別の結果になったとも言えません。

それでも、家族としてできたことはあったのではないか。

父と話せたこともあったのではないか。

今でもそう思います。

だから私は、当時の自分を責め続けるだけではなく、同じように親の病気や入院を突然経験する家族に、

「こんなことを知っておけばよかった」

という情報を残しておきたいと思っています。

私自身がそうだったように、親が重い病気になっても、家族はすぐに現実を受け止められるとは限りません。

だからこそ、元気なうちに少しずつ話しておくことには意味があるのだと思います。


よくある質問

親が重い病気になっても、死を現実として考えられないのはおかしいですか?

おかしいこととは言えません。

家族が重い病気になったとき、病状を理解していても、その人が亡くなることまで現実として受け止められないことがあります。

私自身も、父が肺がんステージ4で治療を続けていることは分かっていましたが、「父が死ぬ」ということを現実のこととして考えていませんでした。

この記事では、そんな私が看護師との会話をきっかけに、初めて父の死を現実として考えるようになった経験を書いています。


人生会議(ACP)は、病気になってからでもできますか?

人生会議(ACP)は、もしものときに望む医療やケアについて前もって考え、家族や大切な人、医療・ケアチームなどと話し合い、共有する取り組みです。

病気や入院などをきっかけに、これからどのように過ごしたいかを考えたり、話し合ったりすることもできます。

厚生労働省も、気持ちは変わることがあるため、その都度、何度でも繰り返し話し合うことが大切だとしています。

私自身は、父の病気が進んでから初めて、「もっと早く本人の気持ちを聞いておけばよかった」と考えるようになりました。


人生会議(ACP)では、何を話し合えばいいですか?

人生会議では、どのような医療やケアを望むかだけでなく、自分が何を大切にしているのか、どのように過ごしたいのかなどについて話し合います。

厚生労働省は、人生会議について「正解」を出すことではなく、自分の気持ちを家族や信頼できる人と共有しておくことが大切だと説明しています。

また、気持ちは変化することがあるため、何度でも話し合うことが重要とされています。

私の場合は、父とそうした話を十分にできないまま、病状が変化していきました。

その経験が、今でも心に残っています。


まとめ

父が肺がんステージ4になっても、私は父が死ぬことを現実として考えていませんでした。

父から見せられた治療方針の用紙。

そこにあった「ボケの症状」という項目。

今回の入院から父がおむつをしていたこと。

そして、担当の看護師から言われた、

「まだ治療をすれば治ると考えているのですか?」

という言葉。

そのとき初めて、私は父の死を現実のこととして考えました。

涙が止まりませんでした。

そして、もっと早く父の気持ちを聞いておけばよかったと思いました。

人生会議という考え方を知ったのも、父を見送った後でした。

人生の最終段階について、家族で話すことは簡単ではありません。

私自身、それができませんでした。

だからこそ、今なら分かります。

すべてを一度に決める必要はありません。

「もし病気になったらどうしたい?」

「何を大切にしたい?」

そんな小さな会話からでも、始めてよかったのだと思います。

私が父を見送った経験が、同じように親の病気や死に戸惑っている方にとって、何かを考えるきっかけになればと思っています。


この記事について

この記事は、父が肺がんの治療を受けていた時期に、家族として実際に経験したことをもとに書いています。

父の言葉や当時の私自身の受け止め方については、家族としての体験・記憶を記載しています。

医療・介護に関する一般的な情報については、公的機関の情報を参考にしています。

個々の病状や治療、今後の過ごし方については、それぞれの状況によって異なります。具体的な医療・介護の判断については、主治医や医療・介護の専門職にご相談ください。

参照元

  • 厚生労働省「人生会議」
  • 厚生労働省「『人生会議』してみませんか」
  • 厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」
  • 国立がん研究センター「がん情報サービス」

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